驚異の部屋

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ひすとり!×驚異の部屋

ひすとり!とは、主にTwitter上で展開されている、歴史×エンタテイメントを意識したゆるやかなつながりの名称です。
参加者は東西を問わず史学の研究者から歴史を楽しむ一般の方まで様々。主催者がいるわけではなく、固定のメンバーが明確にいるわけでもない自由な空気の元に、突発的に歴史に関するあれこれのつぶやきがTwitterのTL上に発生します。
そんなひすとり!に関わる方々に自分の研究分野や興味対象をモノで表していただきsdtが絵にし、この驚異の部屋に展示しました。
「驚異の部屋」とは、大航海時代以降のヨーロッパにおいて、珍奇なものをジャンルを隔てず集め陳列する部屋のこと。王侯貴族から聖職者・学者などの手によって作られた「驚異の部屋」は、現在の博物館や美術館の原型でもあります。
この部屋に並べられたひとつひとつに、様々な背景があります。
どうぞごゆっくり、まだ見ぬ過去の世界へと、お進み下さい。

キャプション

長岡外史像

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長岡外史像

「尖り続けた男」…長岡外史(1853〜1933)

彼は人生を通して尖り続けた。そのヒゲのように。

明治の軍人は常に最先端であり、あろうとした。西洋列強が跋扈する世界における日本の守護者を自認し、文明国から習得した最先端の知識と技術を使いこなし、身分制の崩れた明治国家における立身出世の夢の一翼を担った。

長岡もその一人であった。しかし彼は尖りすぎていた。彼の率いた私的な研究団体「月曜会」は、最新の軍事知識と技術を軍内部に広めようとした。そしてその目的故に、一世代前の古参の軍人たちをしばしば骨董品扱いするきらいがあった。また長岡自身は陸軍内部に大きな藩閥的影響力を持つ長州藩の出身でありながら、そのような地縁的結合に頼ることをよしとしなかった。

尖りすぎた彼らは、その制御の困難さを危惧した当局によって公的団体へと半強制的に組み込まれる。この出来事は彼らを憤慨させたが、その怒りの先端は組織の枠を突き破ることなく、しばし沈黙する。そして5年後。研ぎ澄まされた圭角は、巨大な戦争を駆動する力となって再び世に出る機会を得る。軍の中核へと昇進を遂げた彼らが、日清戦争、さらに日露戦争を担っていく。

長岡は晩年も尖り続ける。新潟在勤中には日本に初めてスキーを導入し、また航空機の普及にも一役買う。その尖りぶりは彼の鼻下に蓄えられた長大なヒゲとして具象化し、そのヒゲはついにドイツの刃物メーカー、ゾーリンゲンのマスコットキャラの座を刺し貫いた。長岡はここに人臣ヒゲ位階を極めるとともに、とある明治人の理念型―イデアルティプス―として、自らの存在を歴史に刻んだのである。そのヒゲで。